柴三郎のキセキ

学祖である北里柴三郎はどのような軌跡を歩んできたのか。さまざまな功績に隠された、知られざるエピソードをご紹介します。

vol.7

奏功一世豈無時(そうこういっせいあにときなからんや)
奮闘由来吾所期(ふんとうゆらいわがきするところ)
休説人間窮達事(いうをやめよじんかんきゅうたつのこと)
苦辛克耐是男児(くしんよくたうこれだんじ)

〈大意〉
何か事を成し遂げようとするには一生をかけて努力しなければならないというのが私の心に期すところである。この世の中で不運にみまわれたからといって嘆いてはいけない。艱難辛苦に耐えてこそ男児である。

1914(大正3)年、北里研究所を設立した北里柴三郎は、一篇の漢詩を編みあげた。素志に立ち返り、自らの再出発に際しての決意を込めた七言絶句である。唐代に完成された近代詩のひとつである七言絶句は、七文字ずつの四句から成り、起承転結の構成を持つ。江戸から明治にかけて、教養を受けた文化人たちの間でたしなまれていた。
柴三郎が福澤諭吉の支援を受け、東京・芝に伝染病研究所を創設したのは1892(明治25)年。その後、予防医学を国家的事業へとの柴三郎の想いから、内務省(当時)管轄となって実績を重ねていた。ところが日露戦争の軍事費で財政が逼迫すると、国は行政改革の名のもと、研究所を文部省(当時)へ移管・合理化すると一方的に通達してきた。
予防医学は実学たれとの信念を持つ柴三郎は、研究所の設立趣旨をないがしろにし、研究偏重に陥りかねないこの移管に猛反発。辞表を提出すると、技師や助手たちもそれに追随し「私立・北里研究所」を興した。そして、一日たりとも研究の手を止めてはならないと、即座に予防医学の実学的研究と血清・ワクチンの開発に取り組んだのである。
時代の逆風や困難に折れることなく、自身の信念を貫き通すための決意、そして再出発に臨んでの無量の感慨。この七言絶句は、まさに柴三郎の不撓不屈の精神を体現した、四句二十八字なのである。

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