柴三郎のキセキ

学祖である北里柴三郎はどのような軌跡を歩んできたのか。さまざまな功績に隠された、知られざるエピソードをご紹介します。

vol.6

東京大学医学部在学中に弟妹に宛てた手紙

1878年(明治11年)、東京大学医学部に在学していた北里柴三郎は、故郷の弟妹に1通の手紙を送った。当時、柴三郎は25歳。2.67メートルにもおよぶ手紙には、生真面目な文言がしたためられている。

「…人々一大業ヲ名成サント欲セバ 各々其基礎ヲ堅固ナラシムベシ 其基礎トハ則チ一身上ノ勉強ナリ 如何ニ志アルトモ人ニ学力ナケレバ他人之レヲ信ゼズ(偉業を成そうと思うなら、その基礎をしっかり固めなさい。基礎とは生涯を通じての勉強です。いくら志だけがあっても、学力を伴わない者が世間で信用されることはありません)」

柴三郎は8歳で学んだ四書五経を皮切りに、漢字や儒学、そして医学と、幅広い学問の習得に励んだ。その熱心さは、13歳の折、藩校の時習館で学ぶため熊本に出たいと訴えた際の母の教えに因るのかもしれない。

柴三郎の母・貞は「大事を成したものは必ず運を手にしている」と説き、「その運を引き寄せるにはただ一心、脇目もふらず自らの大望へ邁進するだけ」と息子を叱咤激励した。

さて、柴三郎は弟妹へ手紙では檄を飛ばしつつ、熱心に支援もした。自身アルバイトで生活費と学費を稼ぐ苦学の身でありながら、末弟の裟袈男も東京に呼び寄せ、やはり自費で東京大学法学部に通わせたのである。幼少期に二人の弟を相次いで亡くした柴三郎には、唯一の弟となった裟袈男への想いはとりわけ強かったのだろう。

柴三郎と弟妹たちが生まれ育った小国郷(現・熊本県阿蘇郡小国町)の北里大社には、樹齢千年と伝えられる大欅がある。天にも届けと枝を伸ばす巨木を仰いだ日が、若き日の柴三郎にもあったことだろう。その姿に、青年は何を想っただろうか。

ページトップ