柴三郎のキセキ

学祖である北里柴三郎はどのような軌跡を歩んできたのか。さまざまな功績に隠された、知られざるエピソードをご紹介します。

vol.18

(右)破傷風の病原菌と想定されていたニコライエル菌を純粋培養するために
柴三郎が考案した嫌気培養の実験器具

(左)柴三郎がノーベル賞の有力候補だったことを伝える新聞記事

長年にわたり寄生虫による熱帯病の治療薬の開発に貢献してきた、北里大学特別栄誉教授の大村智が、2015年12月、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。前年の11月に北里研究所が創立100周年を迎え、新たな50年、100年の第一歩の年となった記念すべき年に、大村がこの栄誉に輝いたことは実に感慨深いものがある。
というのも、1901年(明治34年)、ノーベル賞第1回生理学・医学賞の有力候補に、北里柴三郎の名前が挙がっていたことがノーベル財団の資料から明らかとなっている。ペスト菌の発見や破傷風・コレラの血清療法といった治療法を発見していた柴三郎は、最終選考の15名の中に残った。ところが最終的に受賞したのは、ノミネートされていなかった彼の共同研究者であるドイツのE・ベーリングだった。それから100年以上の歳月を越えて、柴三郎の無念が、彼が開発した研究所の一員により果たされたことになる。
受賞直後の記者会見で大村は、「北里柴三郎先生は尊敬する科学者。『人のために』ということが、北里先生の実学の精神。だから、自分も人のために少しでも何か役にたつことはないか、微生物の力を借りて何かできないかを絶えず考えている」と語った。大村は、薬の開発関連の特許料を北里研究所の運営や新病院建設に投じてきた。また郷里を愛し、山梨県韮崎市には新築の美術館と約3,500点にものぼる美術作品群を寄付したというエピソードがマスコミにより報じられた。まさに、「人のために」を実践する生き様である。
一世紀もの歳月を越えて、柴三郎のDNAを受け継いだ者による歴史的な快挙。実学の精神は、これからも彼の分身ともいえる人材に脈々と受け継がれ、多様な形で社会に貢献していくことだろう。

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