柴三郎のキセキ

学祖である北里柴三郎はどのような軌跡を歩んできたのか。さまざまな功績に隠された、知られざるエピソードをご紹介します。

vol.19

明治20(1887)年、34歳。コッホ研究室の一員となって2年目。
写真前列中央がベルリン大学衛生研究所所長のローベルト・コッホ、後列左から4人目が柴三郎

東京大学医学部を卒業し、内務省衛生局に奉職した北里柴三郎は、明治18(1885)年、国費留学生に任命されドイツへ留学した。32歳の時であった。ここで柴三郎は、世界的細菌学者のローベルト・コッホに師事する。
 病原細菌学という分野を開拓し、それまでの衛生学や防疫学を一変させたコッホ。その研究室で細菌学の研究に真摯に取り組んだ柴三郎は、やがて破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功。その後も、破傷風菌が産生する破傷風毒素と抗毒素を発見して血清療法を確立するなど、前人未到の成果をあげて帰国した。
 明治43(1910)年、恩師・コッホが逝去すると、柴三郎は当時所長を務めていた白金台の国立伝染病研究所の構内に、彼の遺髪を神体として祠を建てた。さらに北里研究所の創立後は、構内に遷座して研究所の守護神として崇め、コッホの命日(5月27日)には例祭を毎年行った。
 北里研究所とローベルト・コッホ研究所の交流は、現在もなお続いている。社団法人北里研究所が創立75周年を迎えた平成元(1989)年、その記念式典にローベルト・コッホ研究所からヴィルヘルム・ヴァイゼ所長が来賓として出席。コッホの言葉を引用して挨拶を行った。これを契機に翌年より今日に至るまで「ローベルト・コッホ/北里研究所合同シンポジウム」が隔年で開催されている。
 平成28(2016)年のローベルト・コッホ研究所創立125周年記念式典には、北里研究所理事長と北里大学学長、そして前年にノーベル生理学・医学賞を受賞した同大学特別栄誉教授の大村智博士がビデオレターにて祝辞を贈った。
 柴三郎のドイツ留学から始まった絆は、130年以上の歳月を経た今も結ばれ、共に世界の感染症研究を牽引しているのである。

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