柴三郎のキセキ

学祖である北里柴三郎はどのような軌跡を歩んできたのか。さまざまな功績に隠された、知られざるエピソードをご紹介します。

vol.20

済生会赤羽病院(現:済生会中央病院)での関東大震災の被害状況視察。
中央が閑院宮戴仁親王、2人置いて院長の北里柴三郎。

大正12年9月1日に発生した関東大震災は、家屋46万5千戸を焼尽し、死者および行方不明者10万4千余人、重傷者1万6千500名という甚大な被害をもたらした。
柴三郎が医務主管を務める恩賜財団済生会も、本部建物は使用に堪えないほど大破。各診療所も大破もしくは全焼し、職員の中には行方不明者も出て混乱状態に陥った。そのような中でも、同会は9月12日に臨時役員会を開き、約10カ月の臨時救療事業を実施することを決定。柴三郎も役員や評議員として活動し、北里研究所や慶應病院などに出掛けて復興の指揮を執った。結果、済生会は臨時救療事業において、延べ213万155人もの患者に対応した。
 9月18日、当時の総裁宮、閑院宮大望戴仁親王殿下が臨時赤羽病院を訪れ、震災被害の実情を視察し、患者を慰問された際に柴三郎は同行。さらに、11月19日の皇后陛下による産院行啓の際も奉迎に参加した。
 その一方で柴三郎は、同年12月、関東大震災救援費として千円の寄付も行っている。
 2011年の東日本大震災において、北里大学は岩手県大船渡市に所在する海洋生命科学部・水産学研究科が人的および物的な被害を受けた中、発災当日から現地への医療支援を開始。北里大学DMAT(Disaster Medical Assistance Team)、大学病院医療支援チーム、そして北里大学東病院を中心とした「こころのケア」チームが救療に取り組んだ。
 柴三郎は「医道論」において、広く国民のために学問の成果を用いるべきと説いた。ここには、学問と実践を結びつけた実学の思想がある。時代は異なっても、未曽有の大震災に見舞われた人々のために実践した速やかな医療支援活動に、連綿と受け継がれてきた柴三郎の信念が息づいている。

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