柴三郎のキセキ

学祖である北里柴三郎はどのような軌跡を歩んできたのか。さまざまな功績に隠された、知られざるエピソードをご紹介します。

vol.15

手前の扁平状のガラス容器が柴三郎考案の「亀の子シャーレ」。右上はその詳細を紹介した「実習細菌学」

1889(明治22)年、北里柴三郎は破傷風菌の純粋培養に成功した。これは、免疫抗体の発見、さらに血清療法の確立への突破口を拓く歴史的な偉業であった。

過去に多くの研究者が挑み、誰一人として成し遂げられずにいた難題の解決に、柴三郎は自身の考案による「亀の子シャーレ」を結合した培養装置を用いた。

当時、破傷風菌患者の病巣から検出されるニコライエル菌が病原菌という想定はなされていたが、単独では検出されることがなく特定することはできずにいた。試行錯誤を重ねる柴三郎に光明が差したのは、古釘を刺した際にできる破傷風の病巣が酸素の届かない傷口の奥の方にできることから、ニコライエル菌は酸素を嫌う嫌気性菌である可能性を見出した時だった。この検証から、ガラス容器内に水素を送り込み酸素を追い出して密封。ニコライエル菌は熱に強いので混在する雑菌を加熱殺菌した後に嫌気性培養を行い、ついに純粋培養を実現させた。

この装置による実験は危険が伴った。容器を密閉すべくガラス管を火炎で閉じるため、水素ガスに僅かでも酸素が残った状態で火を近づけると装置が破裂するほどの爆発を起こす。実際、柴三郎は実験中に水素爆発による失敗を3回経験した。そこで破傷風菌のような致死性の高い病原菌を扱う際は、十分に安全な条件を検討した。

1894(明治27)年、柴三郎は伝染病研究所で細菌学と伝染病学の普及のために講習会を開き、この装置についての講義も行った。講義の速記を担当した門下生の浅川範彦は、後にその内容を著書「実習細菌学」にまとめ、装置の仕組みや使用法、効果などを事細かに記した。同書はまもなく細菌学の最高水準の教科書となり、今日の予防医学へと繋がっていった。

ページトップ