「大学は補欠合格。欠員が出たから入学できたんですよ」
済生会横浜市東部病院の副看護部長・渡邊輝子に看護学部に進学した当時のことを尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「病院にかかったことはほとんどなかった」
「身内に医療職従事者がいたわけでもありません」
そのため、白衣の天使に憧れを抱いていたわけではない。「ただ何となく」看護の道をめざし、専門学校に行こうと思っていた。北里大学を受験したのは、仲良しの友だちが受けるというので「ならば私も!」と願書を出しての付き添い受験。結果、補欠とはいえ合格通知が届いたのは、受験勉強もそこそこの渡邊だけだったのだという。

渡邊は小児看護分野の専門看護師である。専門看護師とは、「複雑で解決困難な看護問題を持つ個人、家族及び集団に対して、水準の高い看護ケアを効率よく提供するための、特定の専門看護分野の知識・技術」を持ち、「ある特定の専門看護分野において卓越した看護実践能力を有する」と認められる者に日本看護協会が与える資格で、小児看護のほか、がん看護、精神看護、老人看護、家族支援など11の専門分野が設けられている。2012年1月現在の認定者数は795人。うち、小児看護専門看護師はわずか73人にすぎない。小児看護分野で最初に認定されたのは2002年の6人。渡邊はその第一号認定者の一人だ。

「でも、目指していたわけではないんです。私が大学院に進んだ当時、まだ小児看護分野の専門看護師認定はスタートしていませんでしたから」
北里大学を卒業して5年間、渡邊は北里大学病院の乳児病棟に勤めていた。体力的にも疲れていた頃、周りの勧めもあり大学院の修士課程に入学したのが1997年。修了は99年のことである。
修士課程を修了した渡邊は国立がんセンター中央病院(当時)に勤め、小児がんを患った子どもたちの看護にあたっていた。小児看護分野の専門看護師養成の気運が高まったのは同センターに勤めて3年経ったころのこと。期せずして指名、認定されたのだという。「看護系大学院修士課程修了者」「実務研修5年以上」といった認定審査の条件を、自分の経歴が「たまたま満たしていたからではないか」と渡邊は推測する。

渡邊と小児がんを患った子どもとの縁は、がんセンターが始まりではない。大学院で書き上げた修士論文も小児がんがテーマだった。さらには大学の学部時代、いや、それ以前の高校時代にまで遡ることになる。
「高校からの帰り道でした。見知らぬおじさんから声をかけられたんです。『うちの子に勉強を教えてもらえませんか』と」
聞けば病気で学校に行けないのだという。とはいえ知らない人からの突然の話だ。

「おじさんから電話番号だけ渡されて。少し怖いし、家族に相談しようと思って帰ったんです」
当然、家族からは反対された。けれど、渡邊は「どうしても放っておくことができずに」引き受けてしまう。
「自宅療養をする白血病の子でした。でもそれを知ったのはずっと後のこと。その子のご両親も私が看護師をめざしていることなど知っているわけではありません。私も何の病気なのか知らないまま引き受けた家庭教師でした」

大学1年の夏、不思議な縁で家庭教師を引き受けた子が亡くなったことを知る。
「ちょうどそのころ、大学の授業を通じてがんを患う人やその家族の方々の体験談を聞く機会があって、心が張り裂けそうで、高校時代の私の体験を大学の恩師に話したんです。そしたらボランティア活動を勧められて……小児がんや慢性疾患を患う子どもたちやその家族とともに、キャンプやクリスマス会を楽しむ活動でした」
現在の勤務先・済生会横浜市東部病院の子どもセンターの看護師長として推挙してくれたのも、ボランティアを勧めた恩師だったという。

小児病棟と重症心身障害児施設の看護師長を兼務する管理職となったいまも、渡邊は現場にこだわる。それは「いい看護とは何か。その答えは看護現場でしか見いだせない」という思いがあるからだ。
「そのためにも、スタッフが気持よく働ける環境を作るのが私の役割。スタッフの疲れた顔は患者さんを惑わせます。疲れていては、見えるものも見えなくなる」
渡邊の周りに笑いが絶えないのは、そんな思いをスタッフみんなが共有しているからに違いない。

特に思い当たるきっかけがあって就いた職ではない。取りたくて取った専門看護師の資格でもない。偶然、奇縁、巡り合い……その繰り返しを振り返ると、すべてがつながって見える人生。渡邊はそれを「何かに導かれてきたようだ」と表現する。
広辞苑で「天職」を引いてみると、「その人の天性に最も合った職業」とともに、「天から命ぜられた職」という意味が記されていた。

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