1954年から1973年まで続いたとされる日本の高度成長。以降、繰り返された開発をともなう環境破壊で水俣病やイタイイタイ病といった公害病や、大量生産のしっぺ返しともいえるごみ問題など、今日でいう環境問題が顕在化していった。しかし当時は「環境」との因果関係で語られることは稀で、「公害」問題として、その対策も、対処療法的に後手に回るのが常だった。

そんな高度成長がまだ進行中だった1972年、埼玉県浦和市(現・さいたま市南区)に、当時としては聞き馴れない「環境管理」の名をもった小さな会社が創業した。内藤環境管理株式会社。環境基本法の制定は1993年。京都会議(第3回気候変動枠組条約締約国会議)が1997年。日本で、地球規模の環境問題がクローズアップされるようになるのはまだ先のことだ。

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「健康管理をヒントに考え出した社名です。よりよく生きるためには不摂生を慎む必要がある。その個人レベルでの実践が健康管理なら、会社や地域や国といった組織規模での取り組みには環境管理が相応しいと考えたわけです」

こう語る同社代表取締役社長・内藤稔は北里大学衛生学部衛生技術学科(現・医療衛生学部医療検査学科)の出身。その卒業は、起業にいたるわずか2年前の1970年のことである。

「卒業後は埼玉県の保健所職員として勤務していましたが、独立したい一心で、北里大学の専攻科で1年間学び直しての創業でした」

当初は資格を活かして臨床検査センターの開業を目論んでいたというが、恩師や先輩のアドバイスを受け、「専攻科の先生に紹介していただいた環境測定に取り組む財団法人で研修を積んで」、将来の需要増が見込める環境測定・分析事業に方向転換した。

とはいえ、看板も人脈もないところからスタートした事業である。会社設立の翌年には、一般には耳慣れない環境管理の業務内容をより分かりやすく明示した「浦和産業排水分析センター」をサブネームとして採用し、水質分析に特化した業務に乗り出したものの、軌道に乗せるまでには時間が必要だった。

「1976年の計量法がきっかけでした。公害規制の対象となっている水質、大気、土壌などの汚染濃度を計測してその事実証明を発給できるのは、計量証明事業所として登録された事業所に限られることになったのです」

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設立から一貫して水質分析に従事していたことが認められた内藤環境管理は、同年、埼玉県知事の登録を受けるとともに、飲料水の水質検査を行う事業所として厚生大臣の指定も受けることができた。

「ただ、水質は実入りが良くないんですよ。大気に比べて単価が安い」

そんな理由から、多くの事業者が大気調査を事業の柱とするなか、内藤は水質にこだわり続ける。

「結果としてそれが功を奏しました。多くの調査・分析依頼が持ち込まれサンプルがたくさん集まったことで分析の精度も上がり、その信頼が次の依頼に結びつくという良循環のサイクルが回り出したのです」

のちに内藤は、機械メーカーとタイアップして測定・分析の自動化システムを開発し、業務の効率化に成功。「水質の内藤」と言われるまでになる。

その後内藤環境管理は、音圧レベル、振動加速度レベルの分野における計量証明事業所登録や、土壌汚染対策法に基づく調査機関としての指定、また、臭気、放射能、温泉成分などの分析機関、試験場としての14にも上る登録、指定、認可を受けて事業を拡大。水質に加えて「土壌の内藤」とも呼ばれるようになり、業界内での地位を不動のものにする。そんな内藤にこの先を尋ねると意外な答えが返ってきた。

「外に出て現場で測定する外部調査はすでに事業項目から外しました。どうしても必要な場合は外注などで対応するようにしています。

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設立以来、化学分析専門会社として今日の地位を得たわけですが、業界を見渡せば、この事業はすでに成熟したといっていいところまできている。時代は、測定、分析するだけでなく、その結果を捉えてどう改善してくか、その方法論が求められています」

拡大ではなく開拓。すでに土壌汚染の分野では改善に向けたコンサルティングにも乗り出したほか、電子機器や医療機器など、海外に輸出される製品から有害物質の有無を検出する製品分析の体制も整えたという。

「特にヨーロッパの国々は環境や人体に悪影響を及ぼす可能性のある物質に敏感です。日本の輸出品にとって大きな市場となった中国も、その傾向を強めています。製品の素材に有害物質が混入していないことを証明する製品分析は今後の需要が見込めるのはもちろん、私たちが培ってきた化学分析のノウハウは、製品開発の段階から必要視されるようになると考えています」

北里柴三郎博士の功績に感銘を受けて医療の道を志し、北里大学を受験するも、第一志望の衛生技術学科の合格ラインには届かず、補欠合格で化学科に入学。

「高校時代の好きな科目は歴史と数学と物理。化学は苦手でした」

2年進級時に念願の衛生技術学科に転科しながら、卒業後は医療とは畑違いの化学分析専門会社を設立。「保健所勤務時代に公害の調査にも携わりましたが、これだけはやりたくないと思っていました」

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そんな自分の足跡を、内藤は「嫌いな道ばかりを歩いてきた気がする」と振り返る。

「やりたくなかった」ことを積み上げた結果、業界で揺るぎない地位を確立した創業社長として、今も140人の従業員を牽引する毎日。シンボルマークにあるThe Knightsは自身の名前と行動規範を求めた中世ヨーロッパ騎士の名称をかけたものだ。内藤の穏やかな笑顔からは、たしかに「Knight(ナイト)」の精神が感じられた。

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