いまから300年以上も前のこと、江戸城で腹痛に見舞われた陸奥三春藩第3代藩主・秋田輝季に、富山藩第2代藩主・前田正甫が、自ら開発を命じて造らせた反魂丹(はんごんたん)を与えたところたちまちにして回復。それが評判となり、また、領地を越えた商売を許した正甫の良策もあって、「富山のくすり」は全国に知られることになった……こんな逸話も残る富山のくすりは、今においても富山県の重要な基幹産業のひとつである。

thumbMatsui3富山県発行のパンフレットによると、同県の人口一人当たりの医薬品生産金額、製造所数、製造所従業者数は全国1位(いずれも2012年実績)。県庁には「くすり政策課」が置かれ、県立高校には「くすり・バイオ科」「薬業科」が開設されるなど、その支援体制も手厚い。北里大学出身の松井崇が研究拠点とする富山大学・和漢医薬学総合研究所も、そんな支援体制のひとつといえるだろう。

「さまざまな天然物から抗菌活性がある物質を探し、その薬効発現のシステムを蛋白質の立体構造の解析から明らかにしようとしています。また、化合物を生成する酵素の構造を改変することで、化合物のバリエーションを増やす研究にも努めています。いずれも将来のくすりのもとになり得る化合物を見つけ出す研究です」

北里大学薬学部のある白金キャンパスには東洋医学総合研究所が置かれ、いまの松井の研究に結びつく。ところが、

「僕は理学部の出身、しかも物理学科です。同じ理学部でも化学科や生物科学科ならいまの研究にも近いのですが……」

大学院修了まで過ごしたのは相模原キャンパス。薬学部とは縁のない学生時代だった。

「もともとは工学部に進もうと思っていたんです。でも、工学部はあまりにも将来の仕事に結びつきすぎているような気がして、入試直前になって志望を変更しました」

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自分の可能性を狭めるような進路に、むしろ不安を感じたという。「物理学科ならもっと悩めるのではないかとも考えた」との言葉も聞かれた。

大学では生物部に所属。そこは部員100人を超える大所帯だった。

「クラブ活動で学部を越えたたくさんの仲間と交流するうちに、将来に対する視点が変わっていったように思います。僕は、自分の進路に含みを持たせるため、つまりは自分のために物理学科を選びましたが、北里の、特に医療系学部の学生から伝わってきたのは『人のためになる医療の道に進みたい』という思い。そういう考えもあるんだと、気づかされました」

松井はここで将来の伴侶とも出会う。やはり「人のため」になりたいと、看護学部で学ぶ学生だった。仲間に触発され、自分のためばかりでなく、人のためになる研究に携わりたいと思うようになっていったという。

研究することの意味を見いだした松井は、大学4年次から生物物理学のラボに所属して、当時大問題となっていたHIVの蛋白質構造をテーマにした研究に取り組む。

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「エイズを発症させるHIVを封じ込めるくすり創りに貢献したいと思いました。といっても創薬ではなく、HIVの蛋白質をテーマに、くすり創りに欠かせない情報を提供するための研究。いわば創薬の後方支援です」

この研究は、大学院在学中はもちろん、最初に勤務した民間研究所でも継続。計8年間、取り組み続けたという。

以降、松井は、公的研究所、北海道大学、富山大学と研究拠点を変えながら、一貫して蛋白質の立体構造解析に取り組み、創薬の可能性を秘めた化合物を生成する蛋白質の立体構造研究と創薬ターゲット蛋白質の機能を阻害する化合物を探し出す研究を続けている。

「同じ病気でも、たとえば糖尿病は比較的裕福な人がなる病気だし、生活習慣の改善で予防も可能ですよね。でも感染症はそうはいきません。最近では多剤耐性菌が問題になっていて、ひとたび広まれば、貧富の差に関係なく子どももお年寄りも感染する可能性を秘めています。人ひとりの努力ではどうにもならない感染症だからこそ、医療の助けが必要だと思うんです。そんな医療の後方支援を続けていきたい」

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自分の将来に含みを持たせての大学入学。学部を越えた学生同士の交流から「人のため」という研究使命を見いだし、その研究を継続する過程で、北里大学が創立以来重点課題とする感染症に行き着いた松井。まさにキタサト的な人。キタサト的に進化し続ける人がここにいる。

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