大村智が微生物と「出会った」のは、修士課程修了後、間もない頃のことだ。ぶどう酒の研究で知られる山梨大学でのワイン醸造の研究を通じての体験だった。その後(社)北里研究所の秦藤樹博士の研究室で、天然物有機化学・微生物化学の研究者として歩む中、大村は僥倖とも表せるような出会いをいくつも重ねてきた。

中でも大村自身「人生最大の出会い」として挙げるのは、1971年に留学したアメリカのコネティカット州ウエスレーヤン大学におけるマックス・ティシュラー教授である。世界的な医薬品大手企業であるメルク社で中興の祖と称えられる重鎮から大村は客員教授として迎えられた。1年と少しの短い時間ではあったものの、この時の経験が後の大村の道を拓き、支えていく礎となる。

留学からおよそ1年後、大村に帰国要請が届く。日本では潤沢な研究体制が見込めないと考えた大村は、新薬の共同研究を交渉材料に、パートナーとなってくれる企業探しに奔走する。ここでもティシュラー教授の助力により、メルク社から当時としては破格の研究費を確保できた。国際的な産学連携研究に先鞭をつけたともいえるこの体験は、やがて大きな意味を持つこととなる。

帰国した大村は秦研究室を継ぎ、研究室を刷新して、独自性が高く商品性も期待できる動物薬の研究に注力した。数えきれないほどの徒労を積み重ね、1979年、ついに大村は一つの放線菌を発見する。この菌は優れた抗寄生虫活性をもつ「エバーメクチン」と名付けた物質を生産することがメルク社の動物実験で確かめられた。ここに世界中の畜産業で繁用されるベストセラー駆虫薬「イベルメクチン」が誕生する。さらにこの薬は思いがけない力も併せ持っていた。アフリカ・中南米に蔓延していたオンコセルカ症※1の予防・治療に薬効を示したのである。WHO(世界保健機関)は大村とメルク社に協力を仰ぎ、無償提供を開始。オンコセルカ症撲滅プログラムは今も継続され、この薬によって感染を免れた人数は、累計で1億2千万人以上にのぼる。さらに「イベルメクチン」によってメルク社から得たロイヤリティ(特許料)収入は、後に大村の尽力によって誕生した北里研究所メディカルセンター病院の開設原資にもなっている。

「何か新しいものを見つけてやろうという開拓の気風が北里にはあります」現在、大村を中心とするグループは「NEXTエバーメクチン」の取り組みを続けている。ブラジルのオズワルドクルズ財団との間で進められている共同研究は、南米特有の3つの難病をターゲットに「人を救う薬」の発見をめざし、研究者の交流を通して国際交流から国際貢献へ。科学技術の外交を支えるのは、ここでもエバーメクチンの実績である。共同研究が結実し、商品化へ動き出す成果も生まれている。

大村の後継者の一人に北里大学北里生命科学研究所教授の砂塚敏明がいる。「海外の製薬会社や研究者との共同研究も大切な取り組み」と考える砂塚は、大村のコーディネートのもと、治療薬の創出を目指す。次の世代を担う砂塚が大村から託された研究のひとつが「マクロライド」である。天然物化合物に有機合成化学をプラスすることで、抗炎症に特化した薬を生み出す。COPD(慢性閉塞性肺疾患)の治療薬としても期待されている。「北里らしい、北里にしかできないこと。微生物創薬は、その大切なアプローチのひとつ」と砂塚は話す。

大村の転機は、いつも出会いから生まれた。だからこそ、大村は人との出会いを大切にする。「何にしても一生懸命やっていると、必ず支えてくれる人が現れてくれるものですね」大村はそう語る。また、交友範囲の広さにも驚かされる。2001年にノーベル化学賞を受賞したバリー・シャープレス教授もその一人だ。大村が主催するマックス・ティシュラー記念講演会※2に招かれた後、教授の提唱する共同研究の打ち合わせのために再来日し、KMC※3セミナーで講演したのは、授賞の10日前の出来事であった。

大村の旧友は高校時代を思い出しこう語る。「彼は、高校3年になると狂気にも似た集中力と根気を発揮した。そこに研究者としての原点があったと思う」さらに当時の山梨の環境を振り返りながら、「厳しい風土だったからこそ、強く生きていかなければならない。その後の人生にも影響を与えているのでは」

研究者として、教育者としてさらには経営者として「終始一貫」ぶれることのない大村。「細菌学者のパストゥールは『幸運は準備された心を好む』と語っています。何事にも謙虚に努力し、道を切り拓いていきたいですね」

 

※1 線虫が体内に入り込むことで発病し、やがては感染者を失明に至らせる風土病。

※2 学校法人北里研究所の発足(2008年)を機に「Tishler-Omura講演会」へ改称

※3 KITASATO MICROBIAL CHEMISTRY

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