今年(2013)2月、イギリスの経済誌「エコノミスト」が調査した、世界140都市の生活コストの結果が公表された。物価が高いとされる上位5都市は次の通りだ。

①東京(156)、②大阪(146)、③シドニー(137)、④オスロ(136)、⑤メルボルン(136)。カッコ内の数値はニューヨークを100とした場合の相対値で、3位のシドニー以下が1ポイント刻みの僅差であるのに対して、東京と大阪は他都市を大きく引き離す大差。日本の物価の高さを改めて浮き彫りにした報道だった。ところが……

picsNagaya_02「さかなは違いますよ。世界の主要都市と東京の魚介類の小売価格を比較したデータがあるので、ぜひ調べてみてください。わたしたちは世界一おいしくて安いさかなを食べているのですよ」

こう語るのは、全国漁業協同組合連合会の常務理事・長屋信博である。長屋に促されて平成19年版の『水産白書』をひも解くと、東京、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ジュネーブ、シンガポール、ソウルの魚介類の小売価格を比較したグラフが掲載されていた。東京を100とした場合、最も高いニューヨークは200を超え、東京に次いで安いソウルでさえ150に迫る数値を記している。

「日本の漁業が、厳しい価格競争にさらされながらも、それに耐え得る基礎体力を養ってきた結果です。しかも、鮮度を保つ加工や品質管理は世界でもトップクラスの技術を誇ります。

国内需要の低下や生産者の減少を背景に未来を案じる声も聞かれますが、視線を世界に移せばさかなの需要は急上昇。輸出産業化を進めれば、漁業は日本の基幹産業にもなり得る可能性を秘めた成長産業なのです」

北里大学水産学部の第一期生。入学動機をたずねると、

「東京湾にほど近い深川に生まれ、子どものころから江戸前の旨いさかなを食べて育ったからかな……」。

そんなさかな好きの長屋の思いが、食べるだけでなく、海や河川、湖沼の多様性、そしてそれで生計を立てる漁師に向かうようになったのは、「まだ夜も明けぬうちから漁に出て、日が沈んでしばらくすると床に就く」「大漁に素直に喜び、時化が続くと空を見上げてはため息をつく」、そんな漁師の暮らしを目の当たりにした、当時の三陸キャンパスで学び研究した修士課程を含む6年間があったからだという。

picsNagaya_01「下宿先は漁師の経営でしたから、賄い食は毎日さかなです。その日の漁であがったさかなだから、新鮮で旨いに違いないけれど、サンマの季節になるとサンマが続いてさすがに閉口しました。それでは、というので下宿人を代表して大家さんに交渉したところ、インスタントラーメンが出てきた」と笑う長屋だが、

「いつのころからか、人間臭い漁師の暮らしを愛おしく感じていたようです。大学を出て何をするかと考えたとき、漁師や漁村を支えるような仕事をしたいと思うようになっていましたから……東京で学生生活を送っていたら、いまのわたしはなかったかもしれませんね」

1978年、修士課程修了と同時に全漁連に入職。以降、長屋は、主に、漁業者の立場で水産政策を考え進言する、漁政活動に携わることになる。

長年にわたって水産業界のスポークスマンとして政官界と渡り合ってきた長屋だが、2011年3月11日の震災には、さすがに「一時は途方に暮れた」という。

「船も養殖たな筏も養殖苗も、港も加工工場も、すべて津波がさらっていきました。飲み込まれた船は28,000艘にも上りました」

分断された道路網を迂回して岩手県宮古市に入ったのが8日後の19日。瓦礫の山しか目に入らない惨状に愕然とする長屋だったが、地元の漁師から聞こえてきたのは、「早く海に出たい」「そのために船がほしい」「船さえあれば生活できる」という声だった。

「宮古の組合長は、1か月後には再建してみせるとまで語ってくれました。わたしたちが途方に暮れている場合ではありません」

picsNagaya_03東京に戻った長屋をはじめとした全漁連幹部は、「ガンバレ漁業!」「三陸の漁師とその家族をばらばらにしない」を合言葉に、当時の総理大臣・管直人元首相に面会。被災状況を伝え、復興予算の一部で造船するなど、国としての取り組みを直接訴えた。その結果、船の建造に必要な経費の約3分の1に上る予算がつく。県の予算も合わせると、造船経費の9分の8を復興予算で賄うことができる見込みが立った。

2年後の春には15,000艘の漁船が東北地方の太平洋岸に帰ってきた。現在も福島原発への対応のため福島県の漁協とは毎月会議を重ねている。

「漁業者の声を届けることもわたしたちの役割ですから」

三陸で過ごした学生時代、下宿人を代表して賄い食のことで漁師の大家と交渉した長屋だが、いまでは立場を代え、漁業者の代表として、今日も、永田町や霞が関を駆け回っている。

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