北里大学看護専門学校を卒業した1998年、中山洋子の看護師人生は北里大学病院でスタートする。当初の配属は整形外科。中山はそこで4年間の経験を積み、5年目を迎えた春、念願の救命救急センターへの配属が決まった。

thumbNakayama1「救命救急センターでの勤務は、看護師を志したときからの希望でした。アメリカのTVドラマシリーズがありましたよね。あの影響があったのかもしれません。ミーハーですね」

高校時代にバレーボールの部活で鍛えた体力には自信があった。まる4年間におよぶ整形外科での勤務で、看護職に携わっていく自信も芽生えかけていた。ところが……

「テレビで観るのと現場に身を置くのとでは大違い。そこは、これまでも勤めていた同じ病院とは思えない現場でした」

北里大学病院は生命の危険におよびかねない重症・重篤患者が運ばれてくる3次救急指定の医療機関である。一刻をあらそう現場の緊張感は別次元だった。

「看護師としての経験は十分に積んできたはずなのに、自分がどう動けばいいのかわからなくて……先生に叱られたことも数えきれません」

情けなくて、涙を流したこともあったという。

そんな戸惑いの中にあっても、中山は立ち止まらなかった。「どう動けばいいのかわからない」その原因を人のせいにするのではなく、自分の技能や知識不足に求め、時間を惜しんでは研修会や講習会に参加。救命処置や心肺蘇生など、救命救急に通ずる資格を自費で取得していくのだ。

自分に厳しいのか、負けず嫌いなのか……中山が前しか見ない根っからのポジティブ思考であることは、困難を乗り越えるというよりも飲み込んではステップアップする、その後の足跡が物語っている。

thumbNakayama2「ドクターカーへの乗車がひとつの転機だったように思います。緊急を要する事故現場に出向き、その場での対応を迫られるなかで災害現場のことを思うようになり、DMATへの登録を決めました」

Disaster Medical Assistance Teamの頭文字をとってDMAT(ディーマット)。災害医療の必要性が指摘された阪神・淡路大震災の教訓をもとに結成された、災害派遣医療チームである。

2007年、DMATに登録。同年には新潟・中越沖地震の現場に駆けつける。また、翌2008年にはDMAT隊員養成研修のインストラクターとしても登録された。そしてこの体験が、中山に新たな課題を与えることになる。

「2009年に大学院に入学しました。専攻したのは災害現場学です。通常は救急救命士の方などが学ぶコースなのですが、事故や災害の現場は消防や警察とのチームワークですからね」

もちろん、看護師の仕事を続けながらの掛け持ち入学だ。休日や夜勤明けを利用しての通学だった。在籍時には妊娠して出産、母親になった。お腹が大きくて実技試験が受けられないため半年間休学。復学してまた妊娠し、大きなお腹を抱えての修士課程修了だった。

thumbNakayama3そしていま(2013年3月春)、3人目の赤ちゃんが……。

「DMATの一員として派遣された新潟の病院で、自分のことよりも子どものことを心配する母親をたくさん見かけました。もっと何かできることがあったのではないか……自分も母親になったいま、そう思うんですよ」

またひとつ、課題を見いだしつつあるようだ。

救急医療の現場に携わったことを契機に、次々と課題を見いだし、ステップアップを続ける中山。いまでは母校の北里大学看護専門学校などで「災害看護」の授業を担当し、後進の指導にもあたっている。

 

※ 2013年2月18日 取材

ページトップ